増加する電車内無差別死傷事件
最近、電車内での無差別死傷事件が増加していると思いませんか。
そんな中、国土交通省は再発防止策として全車両内に防犯カメラの設置義務化を検討しているとの事です。
しかし、捕まるつもりの犯罪者にカメラ設置が犯行抑止になるとは思えません。

福沢諭吉の教え
「学問のすすめ」にこのような事が書いてあります。
「国民のレベルが低いと厳しい政府が立つ、国民が賢ければ優しい政府が立つ」とあります。
つまり、その国の法律が厳しいか厳しくないかを見たら、民度が分かると言うことです。
これしちゃ駄目、あれしちゃ駄目ってものすごく規制がガチガチの法律の国があったとしたら、多分その国の民度が低いということになりますね。
したがって、事件が起きるたびに規制・規制ってなっていく訳です。
このように日本という国は本来、「法律に書いていないから何でも有り」ということではなく、やっぱりやっていいことと、悪いことを一人一人がちゃんと判断できて、それなりの秩序のある、、、もちろんそれでも犯罪は無くならないでしょう。
学問のすすめに「愚民の上に苛き政府あり」という原文があります。
これを現代風に語訳すると次のようになるのでしょうか。
「こうした愚かな民衆を支配するには、道理をもって教え諭すことはとても無理なので、威圧して脅して支配するしかない。西洋のことわざで言う『愚かな民の上には厳しい政府がある』とはこの事である。これは政府が厳しいのではなく、愚かな民衆が自ら招いた災いなのだ。」
凶悪犯罪の抑止になってない
国民が愚かだと、強権な政府ができるということでしょう。
反対に国民が賢ければ、優しい政府ができるということになります。
日本という国は何かあると、国としてどう対応するんだーみたいにギャンギャン追求するでしょう。
これって良くないと思うんですよね。
何かが起こるたびに、「はいわかりました、じゃあカメラ設置を義務化しますー。」、、、って。
それなら犯罪が起きるたびに、なんかあるたびにどんどん制度が厳しくなるという、それってハッキリ言ってカメラの義務化は全く意味がないです。
このように凶悪犯罪者の抑止には全く意味がありません。
何かあるたびに「規制・規制」という風潮はやめたほうがいい。
最近の野党も「政府としてどうするんだー!」みたいなことしか言えないんでしょうかね。
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